原爆は語り継がれていくのか?

2018.08.10 Friday 01:14
0
    8月9日午後、娘がナイトカフェに遊びに来たので
    「今日は長崎の原爆の日だよ」
    と話しかけたら
    『あーそうか、そう言えばそうだねえ』
    と、そっけない。
    「おじいちゃんもおばあちゃんも被爆したんだよー」
    と少しイヤミを言った。

    でも、そんな私も実は「原爆」のことをあまり知らない。

    父親13歳は爆心地から3キロのところで被爆。
    母親6歳は疎開先の伊王島(私の故郷)で被爆。
    伊王島は10キロあまり離れている。
    今日、この写真をネットで見つけた。

    香焼(こうやぎ)というところは伊王島のすぐそばにある地域で、今は伊王島とは橋で結ばれているほど近いところ。
    (我が木村家も香焼に土地を持っていたが
    私の大学入学金と引き換えになくなってしまった。じいちゃんありがとう。)
    だから香焼からの景色は伊王島からの景色といっていい。
    母が見たキノコ雲。
    うーん

    なのに、親たちは僕ら子どもに原爆のことを語ろうとしなかった。
    私は父が35歳のときの子供だから、
    物心ついたときに被爆した人の子どもとしては若いほうだろう。

    大人になって「被爆者」へのひどい差別を知った。
    親たちは僕らを「被爆二世」という差別対象にしたくなかったのだろう。
    それにしても僕らは当事者の割に無知すぎる。
    高校時代、同級生(違うクラスだけど)に発達障害の生徒がいて同じクラスのヤンチャな奴らにいじめられていた。
    全校集会の先生が来る前の体育館のステージにあがらされ、プロレスの技を1人演技させられていた。
    みんな笑って見ている。
    そこでいじめてるヤンチャたちがその発達障害の生徒のアダ名を合唱するのが聞こえた。
    「ひばくにせい!ひばくにせい!」
    この高校は爆心地から1キロも離れていない。
    大抵は家から通っている生徒だ。
    僕はそのとき「バカだなぁあいつら。自分も『被爆二世』だろうに」なんて呆れた。

    みんな知らないのだ。自分の親が原爆で酷い目にあったことを。
    近所の人がたくさん死んだことを。
    少なくとも友だちと「原爆」について語り合ったことは一度もなかった。

    住んでたところから徒歩10分のところにある原爆資料館には一度だけ行った。
    それだけ。正直記憶はあまりない。

    被爆者の子どもたちがこんな状態なのだ。
    (いや、ほんと私だけではないんだって)

    今日テレビで
    「長崎市の上空500メートル地点で爆発」
    と言っていた。
    長崎市で一番高い山(稲左山)の標高が333メートルなのだ。
    ということは?ええ!?
    なんて50歳の今驚いている。

    知っておいた方がいい。
    積極的に能動的に調べなければならない。
    そして伝えるべきだ。
    原爆の悲惨さをちゃんと知らない被爆二世がもう孫を持っててもおかしくない年齢になっているのだ。
    かなりヤバイね。マズイね。
    「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」
    チコちゃんに叱られるね。
    Comment








       
    Trackback
    この記事のトラックバックURL

    Calender
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << December 2018 >>
    Selected entry
    Category
    Archives
    Recent comment
    Link
    Profile
    Search
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM